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洞窟

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龍淵洞窟

龍淵洞窟 image

問い合せ

龍淵洞窟管理事務所 033)550-2727

所在地

太白市太白路283-29 (禾田洞)

紹介

江原道地方記念物第39号(1980年2月指定)の龍淵洞窟は、白頭山脈の中枢である金台峰下部稜線の海抜920mに位置し、韓国で最も高い地帯にある全長843mの鍾乳洞である。様々な石筍や鍾乳石、石柱、洞窟真珠、洞窟珊瑚、石灰岩、カーテンなどの洞窟生成物が見られる。また、中央内部にある幅50m、長さ130mの広場とリズム噴水は、自然生成物とともに神秘的な景観を演出している。

洞窟内には、キクガシラコウモリやブラインシュリンプなど、38種の生物が生息している事が分かっており、さらに神秘感を増す。この他にも、駐車場から洞窟入口までの1.1kmを運行するロマンチックな龍淵列車や、龍淵洞窟→金台峰→漢江水源地・倹龍沼を繋ぐ、白頭山脈の自然生態登山路(3.1kmコース)などがある。

月屯洞窟-未開放洞窟

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問い合せ

太白市観光文化課 033)550-2083

所在地

太白市院洞 山117番地

紹介

月屯洞窟は、院洞にある月屯谷の右の尾根に位置し、洞窟の入口が眼鏡のような形をしていることから‘眼鏡窟’とも呼ばれる。

檀紀4319年11月19日に江原道記念物第58号に指定された垂直型の鍾乳洞で、未だ人の手が加わっていない太古の神秘がそのまま残る洞窟である。洞窟内には珍しい生物やコウモリなどが生息しており、洞窟底には湖がある。また、未だ形成進行中であり、カーテン型の石筍や白色シャンデリア型の石柱は、韓国最大規模と言われている。

洞窟内には動物の骨が多く見られるが、これは、垂直型の洞窟であるために、一度入ると抜け出せずに死んでしまった動物のものと思われる。

子開門

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問い合せ

太白市観光文化課 033)550-2083

所在地

太白市銅店洞 山5-1番地

紹介

銅店の求門沼にある陸橋のような形をした巨大な石窟、即ち、トゥルネ(穿川)の地負石を子開門という。

高麗時代から盛行し、朝鮮時代に民間に流布した“鄭鑑録”という図讖書がある。戦、飢饉、官吏らによる抑圧、高い税金による迫害を受ける民衆に美しい理想郷を提示し、果てしない憧憬の対象となるようにした、秘伝の秘訣書である。

この鄭鑑録には、“洛東江の最上流の、それ以上先に進めない突き当りの所に大きな石門がある。その石門は、子時に開き、丑時に閉まるが、子時に開いた時に中へ入ると、四季折々の花が咲く、凶年もなければ兵禍も三災もない‟五福洞”という理想郷がある。”と記されている。五福洞(別名:午腹洞)とは、現在の黄池・長省の地である太白市一帯を指し、石門とは、洛東江が山を貫くトゥルネ(穿川)である求門沼にある、大きくて丸い陸橋の形をした石窟のことである。

中国の詩人・陶淵明の“桃花源記”という作品に、“武陵桃源”という言葉が出てくるが、そこにも桃源郷へと繋がる入口は“求門沼”のような所であると記されている。理想郷へと繋がる所には必ず石門があり、智異山や北頭流山周辺にも似たような説話が伝わる。韓国においても、求門沼の石門が代表的な理想郷の関門として知られている。

三陟局基路程記には、“奇異な石があるので名を地負石とし、その形状は弓の如し。両側に柱があるのでこれは石門であるが、子時に開き、丑時に閉まるため、開いた時に素早くその中に入ると、弓海塩之地の理想郷がある。”とある。“子開門”という名は、子時に開く“子時開”という言葉に由来する。

穴里窟-未公開洞窟

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問い合せ

太白市観光文化課 033)550-2083

所在地

太白市所道洞(穴洞)山36-5

紹介

穴里窟は、穴里小学校の裏山の麓にある。入口が高さ約3m、幅約4mからなる巨大な鍾乳洞で、穴里村の地名の由来となった洞窟である。正確な全長は分からないが、人が入ることが出来るのは約1,000mほどである。洞窟内には、非常に珍しい鍾乳石や湖、滝、広場などがあり、一番奥の方は未だ生成進行中で、泥沼になっている。

伝説によると、穴里窟には地下世界があると言われている。洞窟内から水が流れ出ているが、春には桃の花びら、秋には白菜や大根の葉が一緒に流れ出てくるそうである。従って、地域住民は洞窟内に理想郷があると信じている。現在、洞窟から流れ出る水は上水源として利用されている。穴里窟は、別名“アムクル(雌窟)”とも呼ばれているが、これは洞窟から水が流れ出ることから付けられた名前である。岩窟の向かいに、水が出ない“スックル(雄窟)”があったが、道路新設時に埋められた。現在は、洞窟入口部分の観覧は可能だが、洞窟保護のため、そして危険であるため未開放となっている。